住友金属鉱山株式会社

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継ぎの脈を拡げよ BUSINESS ― プロジェクトストーリー ―

南の島にニッケル生産の新プラントを建設

電気自動車の世界的普及を背景としてニッケル酸リチウムの増産は急務だった。現状の磯浦工場のキャパシティではとても追いつかず、新しい生産拠点を設置するしかない。検討の末、選ばれたのは東日本大震災後の避難指示がまだ解除されていない楢葉町だった。 設備・プロセス・人材確保・体制づくり……果敢な挑戦がはじまった。

  • 中島 健 住鉱エナジーマテリアル(株)
    2002年入社
    理工学研究科
    総合デザインメカニクス基盤専攻 修了
  • 小田 周平 材料事業本部 SDP推進室(磯浦)
    2002年入社
    総合理工学府
    量子プロセス理工学専攻 修了
  • 松尾 勇太郎 住鉱エナジーマテリアル(株)
    総務部
    2002年入社
    社会科学系学部 卒
  • 長谷川 寛一郎 住鉱エナジーマテリアル(株)
    総務部経理資材課
    2006年入社
    社会科学系学部 卒
  • 短期間での工場立ちあげに向け、
    物件選定と人材確保。

    ニッケル酸リチウムはリチウムイオン電池の正極材に用いられる。2014年夏の時点で住友金属鉱山は月850トンを生産していたが、顧客からの要求を満たすにはそれを1850トンまで引きあげなければならない。すでに磯浦工場のキャパシティは限界で、新しい生産拠点を設ける必要がある。「ゼロからの建設ではとても間に合わない。探しまわって見つけたのが、福島県楢葉町にある化学メーカーの休業中の工場です。そこを借りれば既存の構造物が利用でき、短期間で生産を立ちあげられる」そう述懐するのは、その当時、材料事業室で電池材料事業を担当していた長谷川寛一郎だ。 経産省をはじめ関係する省庁や自治体と相談を進め、楢葉町に住友金属鉱山の100%出資による「住鉱エナジーマテリアル(SEM)」創立が決定。2014年11月には楢葉町で記者会見がおこなわれた。住友金属鉱山が新会社を一から設立するのはじつに十数年ぶりである。
    翌15年3月にはフィリピンから帰任したばかりの松尾勇太郎が、SEMの総務部長に就任する。初期段階で松尾がとくに力を入れたのが人材の確保だ。「楢葉町はまだ震災後の避難指示地域でしたし、そもそも福島県にはそれまで住友金属鉱山の拠点がなかった。予想以上に苦労しましたね。ハローワークや人材派遣会社を訪ね、新聞やWEBに広告を打ちました。国道に人材募集の看板まで出した。考えられることは全てやりましたね」。

  • 工期を整える工夫、
    プロセス確立のための協力

    技術陣もフル回転だった。設備担当の中島健は、「通常の設備は、まず生産する目標に向けて設備を設計し、それがレイアウトできるようにハコをつくりますが、今回はすでにハコが決まっていてそこに収まるように設備を設計しなければならない。ロジックが逆なんです。そのうえ短納期で、建設を依頼する協力会社とも初めてのつきあい。不安要因が山積みでした」と苦笑いする。工事開始から半年くらいで工期の遅れが目立ちはじめた。それをキャッチアップするため、中島は作業エリアを区切って「設備の設置」と「空間のクリーン化」を平行しておこなうプランを立てる。これが功を奏し、10月には最初の試運転が開始できた。
    プロセス担当の小田周平は磯浦工場で経験を積んだ技術者だ。「磯浦のラインよりもコンパクトで、かつ生産性を確保すべしというミッションは正直ハードルが高かったですね」と語る。ある条件で装置を動かしデータをとって検証をし、それをフィードバックして条件を調整する、それを繰り返しながらプロセスは確立されるのだが、この時はその余裕がほとんどなかった。「実際の生産をしながらデータをとらねばならず、作業員の協力が不可欠でした。工場が操業したのは2016年2月。当初は現場も不慣れで、心許ないところがありましたが、やがて工程の不具合を自分たちで判断・対応できるようになりました」。

  • 人材と技術の両面で
    新会社のプレゼンスを高める

    2016年3月には安倍晋三首相が福島県訪問の一環としてSEMを視察した。「官邸、復興庁、経産省、県庁から別々に指示や要望がきて、その対応が大変でした。復興庁にはこちらから首相が滞在する20分を秒単位でシナリオにしたものを提出したのですが、何度もリテイクが入り手直ししました」と、松尾は述懐する。しかし、その甲斐あって首相の視察は大きく報道され、SEMのプレゼンスを示す良い機会になった。人材確保にもプラスの効果を及ぼした。
    SEMの経理・資材を担当する長谷川のもとには、現地採用でふたりの部下がついた。「彼らに大いに活躍してもらい、これからSEMとしての企業文化をつくっていかなければなりません。震災後の楢葉町に会社を設立したのはSEMが最初であり、地域の復興の一助にもなっていると思います」と語る表情が明るい。
    設備の中島とプロセスの小田は、情報共有・相談しながら現場の改善に取り組んでいる。「見こみの生産量の達成がゴールではありません。その先の増産まで想定して動かなければ」と中島が言えば、「作業現場のメンバーの成長がめざましい。彼らが工場のレベルを支えてくれる」と応じる。
    「住友金属鉱山と同じ製品をつくって満足するのではなく、SEMならより安く良いものがつくれるところまでいきたい。私たちのライバルは住友金属鉱山なんですよ」そう言った松尾の言葉に、ほかの3人が大きく頷いた。

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