Sumitomo Metal MiningCorporate Profileだいろとう5別子銅山の最初の坑口である歓喜坑南蛮吹きの様子を描いた鼓銅図録の場面[住友史料館所蔵]ビジュアルで見る住友金属鉱山の歩み1590南蛮吹きの技術を開発し、事業の礎を築く1590年、蘇我理右衛門が、泉屋と称して京都で銅製錬・銅細工を開業。ほどなくして、粗銅から銀を分離する「南蛮吹き」という製錬技術を開発しました。当時の日本は、銅製錬の技術が未熟で、銀を含んだままの銅を輸出していたため、その分富を損失していました。しかし、この南蛮吹きの確立により、銀を回収することが可能となって泉屋は繁栄。住友の事業基盤を築くまでの発展を遂げたのです。画期的な技術を開発した蘇我理右衛門は、これを独占することなく同業者にも広く公開。その結果、日本における銅産業は加速度的に発展を遂げました。1691別子銅山を開坑し、鉱山資源という新たな価値を発掘南蛮吹きの確立から100年が経った1690年。伊予国(愛媛県)で銅鉱石の大露頭が発見されました。住友家はこの発見を契機に、翌1691年に別子銅山を開坑。それまでの銅製錬を中心とした事業から、鉱山資源という価値を発掘する新たな事業に軸足を移しました。途中、採掘量の減少や明治政府による接収の危機にも瀕しますが、あらゆる施策でそれらを回避。さらに採鉱・運搬の近代化にも着手しながら、1973年までの283年間にわたり操業を続け、住友発展の根幹を担いました。別子銅山で培われた鉱山技術は、世界規模となった現在の資源事業においても、脈々と受け継がれています。
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