住友金属鉱山会社案内_日
6/24

6Sumitomo Metal MiningCorporate Profileにいはまいばていごうしさかじま1900年頃の新居浜製錬所[住友史料館所蔵]1905年の四阪島製錬所[住友史料館所蔵]1888西洋技術の導入により、鉱山事業の近代化を推進1874年、生産能力の向上を目的にフランス人鉱山技師ルイ・ラロックを別子銅山に招聘。彼が記した「別子銅山目論見書」をもとに、地下深くに眠る鉱石を掘り起こす東延斜坑の開削や、ダイナマイトによる掘削、削岩機の導入、鉄道の敷設など、西洋技術を取り入れた採鉱・運搬の近代化を推し進めました。その結果、別子銅山の出鉱量は増大。別子山中にあった製錬所も新居浜の沿岸部に移設し、洋式の銅製錬所として1888年に本格的な操業を開始しました。その後も、別子銅山鉄道が新居浜まで開通したことで、輸送能力が飛躍的に向上。製錬所の鉱石処理量も大幅に増加しました。1905製錬所を四阪島に移転。環境保全の先駆けに近代化による技術革新に伴い、別子銅山の産銅量は、30年前の約6倍に当たる年産3,500トンを記録するまでになりました(1897年)。しかし、製錬で生じる亜硫酸ガスが新居浜製錬所周辺の農作物に悪影響を与える深刻な事態に。そこで時の別子支配人・伊庭貞剛は1905年、煙害回避を目的に製錬所を新居浜から瀬戸内海に浮かぶ無人島・四阪島へと再び移転することを決断。残念ながら抜本的な解決には至りませんでしたが、当時、世界中の銅製錬施設も同じように抱えていたこの問題に対し、住友は莫大な費用と時間をかけて研究を続けました。そして1939年、煙害の原因となる亜硫酸ガスの回収を、世界に先駆けて達成したのです。

元のページ  ../index.html#6

このブックを見る