住友金属鉱山会社案内_日
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Sumitomo Metal MiningCorporate Profile7操業開始当時の東予工場1985年の出鉱開始以来、金鉱石を産出し続けている菱刈鉱山1985歴史と技術を継承させた菱刈鉱山の操業1970年代に入ると、ひとつの転換期を迎えました。1973年に別子銅山、1979年に佐々連鉱山(銅鉱山)が閉山したことで、300年近く続いた国内の資源事業が一時的に途絶えてしまったのです。しかし1981年、鹿児島県伊佐郡菱刈町(現・伊佐市)で金の鉱床を発見し、1985年には開発した菱刈鉱山から出鉱を開始。高い金含有率を誇る菱刈鉱山は、当社の成長を支え続けています。現在も操業を続けており、別子銅山から始まった資源事業の歴史をつなぐとともに、これまで培ってきた鉱山技術を継承する場としても、重要な役割を果たしています。1971国内需要を満たし、“世界”を見据えた銅製錬拠点高度経済成長期に突入すると、国内の銅需要は急増。それに対応すると同時に、国際的な競争力強化も見据えて、1971年に当時最新鋭の銅製錬所(東予工場)を設立しました。東予工場の自熔炉(熔鉱炉)の火は、かつて別子銅山の焼鉱窯から四阪島製錬所へ運ばれた火を移したもの。こうして住友の精神を受け継ぐとともに、蓄積した製錬技術と経験を活かし、さらなる技術革新を推進しました。操業開始から50年以上が経過した現在では、世界トップレベルの生産能力とコスト競争力を誇る施設へと成長。当社の主力製錬所であり、グループ内の技術者同士の交流の場としても活用し、技術力の維持・向上に努めています。

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