歴史・沿革

住友金属鉱山の歴史

監修・資料提供:住友資料館

菱刈鉱山の操業
世界的な競争力の強化

1981 

菱刈鉱山の探鉱と操業豊富な金含有量をほこる菱刈鉱山の鉱床を発見

1973年に別子銅山が閉山、その後1979年に佐々連鉱山が閉山したことにより住友金属鉱山の300年におよぶ資源事業は終焉を迎えたかに見えました。 しかし1981年に鹿児島県で菱刈鉱山の鉱床を発見し、1985年から出鉱を開始、資源事業の歴史をつなぐことができました。

菱刈鉱山は、現在に至るまで豊富な金含有率を誇り、収益の柱となるとともに、鉱山技術を継承する場としても重要な役割を担っています。

試錐の様子
1986 

海外銅鉱山への投資海外銅鉱山への資本参加を推進

非鉄金属価格が低迷する1980年代、日本の産銅業界では海外から資源を購入し、製錬費で利益を上げる形が続いていました。 しかしこうした中、住友金属鉱山は1986年にモレンシー銅鉱山(アメリカ合衆国)への投資を決定、資源確保への動きを開始しました。そして非鉄金属市況が上昇を開始した1990年頃、世界的に鉱山の開発や増産が本格化しました。

当社は1992年にはカンデラリア銅鉱山(チリ)、翌年にノースパークス銅鉱山(オーストラリア)へそれぞれ資本参加しました。

モレンシー銅鉱山
2001 

世界を凌駕する技術革新世界で初めてHPAL法を商業ベースで実用化

2001年、フィリピン・パラワン島でHPAL法を用いたニッケル製錬設備の建設を開始しました。HPAL 法は1950年代にキューバで開発された技術ですが、生産効率をあげることが難しく、商業ベースで実用化した事例はありませんでした。
そうしたなかで住友金属鉱山は、長い金属製錬の歴史で培った技術をいかし、2005年の生産開始後は安定操業をつづけています。

コーラルベイニッケル社

当社の創業から現在に至るまでの沿革についてご紹介します。